デート。なぁんて言葉は、一度たりとも、私の口から
飛び出したことは
ない。
「これからデートなの。
うふっ」
なぁんて言葉を、ドラマや映画のセリフで
よく耳にするけれど、みんな本当にそんなこと
言うのかぁ?疑問が
ふつふつぷつぷつと沸き起こるのである。
あ、もちろん。
「あらっ。なになに?これからもしかして
デート?」
なぁんて、
冷やかしの言葉をかけたことは
いくらでもあるが。
結婚する前、師匠と
ちょこちょこお出かけする際には、
「ちょっと、師匠と
出掛けてくる」
とまあ、こんな
感じで実家の人々には告げて、家を後にしたものである。
オババは
一応、嫁入り
前の大事な娘のことを気遣って、行く先を尋ねてきた。あまり遅くまで帰ってこないと
心配だったのかもしれないが、夕ごはんを家で食べ
るか食べ
ないかを確認する意図もあったのだろう。せっかくごはんを
作って、「いら
ない」と言われたらたまったものではないからである。
「今日は、
どこへ行くの?」
「・・・よくわからん」
「まだ、決まっていない」
というのが、
いつもの私の返事。師匠は、その
日その
時の
気分で行き先を決める人である。最初は、あまりの
無計画
無配慮さに、こめかみが
ピピピピピッと切れそうになったこともある。女性は、
急に言われても
即出掛けられない生き物なのである。
いくらすっぴんの私でもね。いろいろあるのよねぇ。まあ、
ヒツジや
シャチや
ネズミに会いに行く時くらいは、事前打ち合わせの上、決定がなされていたが、それ以外は
当日朝の電話にて受付
即実行といった感じであった。「
問わざる
言わざる
聞かざる」的
超面倒臭がりの私は、いちいち
こうして
ああして
そうしてと言うのが
億劫であった。しかも師匠は、自分の気が向か
ないことには反応が
鈍く腰が
重い。私は、
気が向かないなら結構。私はひとりで行きますから。という
ばっさり切り
捨てる性分も
持ち合わせているので、よかったのかも。
そのうち、師匠とのお出かけ
先は徐々に
絞られていき、
映画館か博物館。はい、
二者択一。
たまに見かける彼
氏彼
女の博物館
デート。手をつないで
寄り添って、
うふうふ笑いながら楽しそうである(これこそ博物館に
必要な光景である)。
が、私と師匠の博物館デートは、
気力
体力勝負。
オスッ。師匠の
歩調は、まことに緩やかである。昔懐かし
牛歩戦術並みである。ある物の前に、立ち止まって凝視。そのうちしゃがみ込んで、下から横から斜めからのぞき込む。また立ち上がって、顎に手をあてて、しばし考え込む。そして弟子に、これはこうでああでそうだろうなあとミニ解説をしてくれるのだ。
正倉院展のような
大混雑状態の中でこれをやると、
「
ウンチクはいいから、先に
進んでよ」
自己中心的世界に
君臨する
オバサマに、奇襲攻撃を
喰らうこともある。
が。
そんな
ことくらいでめげる師匠ではない。気にもしていない、もしかしたら気がついていない。集中している時の師匠は、何事も耳に
入らず目に
入らず。
「
何かおもしろいものでも
見えるのだろうか」
弟子は師匠の
真似をしてみる。よくわからないので、さらに顔を
近づけると、
がんっ。ごんっ。とおでこや眼鏡を
ガラスにぶつけること、数えきれん。学習能力が
低いなあ。
よって、博物館
デートは
長時間に及ぶ。ひ弱な弟子は
途中離
脱して、
足がむくむぅ。頭いっぱい、お腹すいた。と、ところどころに置かれた
ベンチへまっしぐら。ちょこんと
座って一休み。
ここ最近は、さすがの師匠も
疲れるらしく、一日館内にいることはなくなった。
「学生の頃は、
一日同じ物を観察し
続けられたのだけどなあ・・・」
とふうっと
呟く師匠。いやいや、そんなことになったら弟子は、ベンチで横になって
寝てしまうか、お茶しているか、どちらかである。
でもまあ、よく
考えてみれば。
何かを追
求・探
求するためには、とてつもない
集中力が必要である。気力体力を使い
果たすくらいの姿勢で物事を観察できるくらいでなければ、結局は
何も
得られないのだろうな。
茨城に
越してきてから、よく足を運ぶ
県立歴史館。
冬枯れの風景が素敵。
今回の目的はこちら。
遺跡紹介展&鹿島信仰-鹿島神宮文書と鯰絵-。
残念ながら24日で
終了。私も駆け込みでギリギリ
セーフ。
鹿と言えば奈良の春日大社を思い浮かべる人が多いかも知れない。が、その鹿さんたちの本家本元は
鹿島神宮である。ここは
古代を考える上で、とってもおもしろい場所だ。
中世に至り、武家から先勝祈願の神様として
厚く信仰され、源頼朝や実朝、足利尊氏、徳川家康など、
時の権力者との関係を示す文書(鹿島神宮文書)が数多く残されている。
近世になると、鹿島信仰と庶民を深く結びけた
キーワードが浮かび上がってくる。
鯰(なまず)と大地震。今回の展示は、江戸を襲った「安政大地震」を「鯰絵」から読み
解こうという、とっても魅力的なものだった。
安政大地震とは、『安政2年(1855)10月2日、江戸を』襲った『直下型大地震』である。
鯰絵とは、『その被害状況とともに刷られた錦絵版画』で、図柄は『
鯰・鹿島大明神・要石を書き込んだもの』が多い。
当時、『地震は大鯰が暴れて引き起こすもので、平常は鹿島大明神が要石(かなめいし)によって鯰を抑えこんでいるという
俗信』があった。
鹿島の神様について『日本の国土の守護役』というイメージがあった。
【歴史館解説シートより抜粋】暴れている鯰を要(かなめ)石によって
封じ込めるという話は、
ドラマ「鹿男 あおによし」のベースになっていたから、記憶に
新しいのではないだろうか。
地震発生直後から復興に
至るまで。鯰絵は、見事に世相と庶民の心の
変化を映し出している。これはおもしろい。
地震
発生は10月、
神無月。出雲へ神様が集結する月である。鹿島の神様の
留守を狙って、鯰が大暴れした結果、大地震が
起きたと考えられたのだ。
地震発生
直後。急ぎ、要石を持って舞い
戻ってきた鹿島の神を
歓迎する庶民の姿。鹿島の神によって、要石を
打ち込まれたり、
埋められたりする鯰。擬人化された鯰が、神様に申し
開きをしている様子や、鯰のお
父さんが庶民に襲われている様子が描かれている。
鯰への
怒りに震える庶民。神様に絶対的
信頼を寄せる人々。
が、少しずつ、庶民の様子に
変化が表れる。庶民と鯰で
エイヤエイヤの大合戦。その様子を
にやにや笑いながら傍観している人々が
登場してくるのだ。
大工さんやら鳶職やら。
壊れた家を建て替えてくれる
職人さんたち。
「
損した人」「
得した人」の
明暗がくっきり。すべてを失った「金持ち」「遊女」「役者」などの人々。仕事やお金がいくらでも入ってくる「職人」。
そのうちなんと、要石を打ち込まれた鯰と神様の
間に入って、
「まあまあ、いいじゃないの。そんなに懲らしめなくても」といった庶民の
姿が描かれるようにまでなる。表情も
にこやかになってきて、地震直後の悲壮感は感じられない。地震によって「金持ち」からは「大判小判」が「吐き出され」、広く世間に
まわるようになったからである。
鯰は、
恐怖と怒りの対象から、「世直し」をする
ありがたい存在へと変化する。
さて、この江戸庶民の姿を
どう見るか、である。俗信に踊らされている人々、不謹慎な人々と眉をひそめてしまうと、私たちは「現在」のことも判断できず、「未来」のことにも
困惑しか抱けなくなってしまうだろう。
『・・・
天気というものは、人の行動に
感応するもの、人が祈りを捧げれば好天を以て応え、逆に人が悪行を重ねれば荒天を以て報いるものだという
認識をぴたりと貼り付かせているわけである。これが現代とは
くっきりと異なる
当時の人々の
感覚であった。江戸時代は
近代では
ない。』
山室恭子「第肆章 天くらくして大地鳴りわたり」『黄門さまと犬公方』文藝春秋 1998年「現代」に生きる人間とは、
世界が違うのである。彼らには己を納得させるため、すべてのつじつまを合わせるために、
考える力があった。想像力を駆使して、
思い描くことができた。「現代」の目線からでは、「非科学的」の一言で片付けられてしまうことではあるが。
噛み砕いて呑み込んで
消化する、自己
再生能力が備わっていたのである。
学ぶべきことは、前にばかりあるのではない。時には振り返ってみるべし。
さて、もう
ひとつ。

遡ること、歴史館の木々が黄金色に
染まるころ。
特別展「かがやきにこめた権威と荘厳-金と銀の考古学-」にて。

講座「輝ける
鈴を愛する日本人」で少しばかり、お勉強。
日本人の誰もが、鈴(すず)と言えば
これ!と思い浮かべるあの
形。ころころまんまるくて、ひとつ孔があいていて、中に何やら入っていて、ちゃらちゃらちりんちりんと鳴る
鈴。
茶色と白の二色のまんまるカステラ。あれを見ただけで誰もが「鈴」を
連想できてしまう。たいていの神社には大きな
鈴が下がっているし、誰もがひとつくらいは必ず
鈴を身につけている。場合によってはじゃらじゃらちゃらちゃら楽器のように、歩く度に
鳴らしているような女の子もいたりするわけだ。
この鈴、今となっては日本
特有のものだと言う。では一体、
いつどこからやってきて、私たちの生活に
根付いたのだろうか。
弥生時代。日本には銅鐸という、一見「鐘(ベル)」のような「鳴り物」が存在したが、用途としては「置いて崇めるもの」という方が主流であったようだ。交流があった朝鮮半島の文化や習慣などは取り入れているのに、「鳴り物」は日本には入ってこない。まるで「拒否」しているかのようにも思える。
時は5世紀。
古墳時代になると、
朝鮮半島から「鈴」がやって来て日本中に
広がる。朝鮮半島ではポピュラーな「多孔鈴」(孔がたくさんあいたもの)や角張った形のものはあまり好まれなかったのか、途中で消えてしまう。
選ばれるのは丸い鈴、そう、私たちが知っている
あの鈴なのだ。
古墳に
収められていた品物を見てみると、帯にも鈴、大刀にも鈴、何でも鈴、どこもかしも鈴
だらけ。埴輪の人物にいたっては、帽子にも鈴、帯にも鈴、洋服の袖にも鈴。仮にその姿で動こうものなら、
ちりんちりんじゃらんじゃらん鳴り放題なのである。
もしかして・・・ただの鈴好き?が、そうはいっても鈴に執着する
背景には、何かがあったはずである。おもしろいことに
6世紀に入ると、鈴は
関東に集中するようになる。「王墓級」と言われ、出土品が豪華絢爛を極めた
奈良県斑鳩町藤ノ木古墳には、鈴が
ぽつんとひとつだけ。それも大刀の柄頭の中に(まるで
隠されたかのように)埋め込まれている鈴。同じような
例は関東にもあって(どちらが元かはわからぬが)、鈴を使うという「風習を共有」してはいるとも言える。藤ノ木古墳には、多数の
玉が収められていた。近畿は
玉の世界。関東は
鈴の世界なのである。
古墳に収められた当時は、
キンキラキンピカ光り輝いていた鈴。「鳴る」ことよりは、
丸い
形であることが
大切で、
玉のように
飾ることを強く意識していたのかもしれない。もちろん、鈴の中には「丸(がん)」が入っていて、鳴る機能も備わっている。が、丸い物の中にさらに丸(がん)=玉をこめるという、日本人独特の「
こめる」という考えが強く働いていたとも言えるのではないだろうか。
柄頭の中に鈴を
こめたように、鈴の中に鈴を
こめるという二重構造のように。古い神社では、目隠し塀があり、拝殿と本殿の位置をずらして、
直接「神様」を見られない構造になっている。大事な物には
直接的な
視線を
向けないという意識が、
鈴にも見え隠れしているとしたら、おもしろい。
9世紀(平安時代)になると、鈴の役割が変化する。「アクセサリー」的な要素が消え、「祭祀・儀式用」が主流になる。
8世紀あたりから耳飾り・首飾りなどの装飾品類が
一斉に姿を
消し、何も飾らない(江戸にはカンザシは存在するが)時代が、明治まで
続く。これってものすごく興味深い現象である。しかし
鈴は消えることなく、形を少しずつ変えつつも、日本人に
愛され続けている。
ちょっと補足。
金は純度が高いほど、柔らかくて加工しやすい。繊細な細工物は金の方が向いている。一方、銅は加工が難しい。古墳時代後期から日本で造られてきた
金銅製品は、「水銀で金を溶かして塗り、水銀を蒸発させて輝きを出す」という
高度の技術と知識が必要である。純金=黄金=優れているという感覚を、
ぐるりと転換してみてもいいのではなかろうか。
日本には「金がなく貴重だったのだ」との話もあるが、中国や朝鮮半島でも純金製品が集中する地域は限られている。日本だけがそうだとも思えない。まあ、話を
ぐぐぐっと単純化してしまえば、金銅製品は頑丈で、
どかんと大きなものを造ることができる。志向の問題かもしれん。
【特別展講座「輝ける鈴を愛する日本人」茨城大学田中裕先生の講演&資料より。2009年】身近なところに、
遠い記憶と
深い意識が潜んでいて、私たちは時の積み重ねの上に立っている。それを知らずして進もうとするから、
迷ってしまうのかも。
さらに時は遡り、
夏の日射しが眩しい頃。

アイスミルクティーで喉を潤してから。
歴史館まつりへと、ぶらりとお出かけ。

広場ではいろいろなイベントが開催されていた。
ちょっと離れた場所で、いばらき蕎麦の会が出店中。

ごちそうさまでした。
博物館は人が
集ってこそ。広い芝生でのんびりしたり、駆けっこしたり。
歴史館からの
帰り道、ちょっとお茶したい時によるのが
クセボン。それ以外でも、小腹がすいたとき、ちょっと
寄り道するのがクセボン。ふたりともお気に入りのパン屋さん。イートインスペースは貴重である。
可愛らしいナマズさんを堪能した後、ちょっと一服。

栗のデニッシュ。
師匠は、マンゴーデニッシュ。

あれ?マンゴー・・・だったかな。
ある時は、ダークチェリーのデニッシュ。

うん、やっぱり美味しい。
いつもきれいに整列しているパンたち。あれもこれもと目移りしちゃう。
クロワッサン。美しい姿に一目惚れ。

ああ、ついついトレーへ。
チョコデニッシュも。

師匠に止められないと、際限がない弟子。
またある時は、朝昼兼用ごはん。

がっつりサンドイッチとメロンパン。師匠はバーガーサンドとデニッシュ。
またまたある時は、がっつり食べたいモード。

バーガーサンドにカレーパン(だったかな)にイチゴのデニッシュに・・・。
その時々によって変わる、トレーがいいなあ。
ころんと愛らしい姿の栗のパン。

つぶつぶ栗が入ったアンがたっぷり。
クセボンと言えば、欠かせないのがこれ。
たっぷりカフェオレ。
どんな時でも、カフェオレ。

大きなカップはありがたい。
いつでも、カフェオレ。

ありがたやありがたや。
そういえば、博物館とパン屋巡りは
セットであった。博物館周辺のパン屋を
リサーチしてから出掛けることにしている。これも楽しみのひとつ。
ただでは起きない弟子である。
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